第6回 銀の森の会 平成23年4月19日(火)
私の履歴書

- 講師:鹿島建設株式会社
安全環境部次長 兼 施工環境課長
米谷 秀子 - 建物の建設や解体の現場で発生する建設廃棄物は量が多く、廃棄物の中で大きな割合を占めています。それだけに、適正に処理することが大切。米谷秀子さんは、建設業界において廃棄物管理のさきがけを担ってこられました。東京工業大学大学院修了後、日本銀行に入行したものの、「廃棄物管理こそ私のやりたい仕事」と鹿島建設に飛び込んだ異色の経歴の持ち主です。
- 「自己実現」の大切さをたたき込まれた中学時代
- キリスト教系の幼稚園、公立の小学校を経て、中学は「女子御三家」のひとつに挙げられる女子学院中学校に入学。「非常に特色のある学校で、大きな影響を受けました」。
例えば、朝の礼拝のときに何度も耳にした「アイデンティティ」という言葉。「今でこそ普通に使われるようになりましたが、当時はあまり使われない言葉でした。自己実現の大切さをたたき込まれました」と言います。
仕事に対する考え方が変わったのも中学時代。女性も収入を得て自立しなければ、という教育の中で、「将来は専業主婦でいい」という考えが変わったそうです。
- 水俣病が環境問題へと目を向けさせた
- 女子学院高校2年のときに見た水俣病の映画が、その後の人生を大きく左右することに。石牟礼道子の本に出てくる水俣病患者の言葉に心を揺さぶられ、患者と正面から向き合う原田正純医師の姿には、現場に密着することの大切さを学んだと言います。
「こういう不幸を二度と起こしてはいけない。そのために、将来は企業の中に入って環境管理の仕事がしたい」と強く思い、大学では経営工学を学びました。が、就職したのは日銀。「日銀が初めて理系の学生を採用する、というのでちょっと面白そうかな、と。あれだけ環境、環境、と言ってのに、いざとなると専門知識がなく、思うような仕事ができないのではないか、と弱気になってしまった」と笑います。
その日銀で、企業間のサービス価格指数を開発するプロジェクトチームに配属されたのが転機になりました。さまざまな業種の中から米谷さんに割り当てられたのが、産業廃棄物処理業。「頭に何か落ちてきた気がしました。環境の仕事をしろ、という天の啓示だ!って」。多くの処理業者と関わる中で鹿島建設の廃棄物処理担当者と知り合い、「私のしたい仕事はこれだ、と。ちょうど日銀同僚との結婚が決まっていたので、日銀は寿退社。鹿島建設に再就職しました」。時はバブル絶頂。時代が廃棄物に対して厳しい目を向けるようになったころでもありました。
- 現場から学ぶ姿勢を忘れずに
- 鹿島建設では東京支店総務部に配属され、もう1人の男性と2人で、廃棄物処理に関する新たな部署を立ち上げました。その後も一貫して廃棄物管理の仕事を担当。「心がけているのは、現場から学ぶ姿勢を忘れないこと。しっかりした処理業者を選ぶことは、何より大切」と言います。
例えば、以前は解体業者に支払っていた処理費用。廃棄物は解体業者から運搬業者を経て処理業者へ渡るのに、解体業者を通して処理費用を払っていたのでは、最終的に適正な費用が処理業者に支払われたかどうかが分からない、という理由で支払方法を変更。今では直接、処理業者に費用を支払うようになったそうです。
「環境関連の法律は目まぐるしく改訂が行われるので、社内に徹底するのも大変です。でも、法案を作る前に環境省の方に事前に意見を提案させていただく機会があるなど、やりがいがあります」。少しまわり道したものの、まさに高校時代から願っていた仕事に就き、充実した日々を送っていらっしゃることが伝わるお話でした。
