第7回 銀の森の会 平成23年6月14日(火)
笑いながら考える 〜環境漫才師への道〜

- 講師:環境カウンセラー 林家カレー子
- 家事や子育てに励んでいた一主婦が、「昭和の爆笑王」林家三平と出会って「林家カレー子」に。漫談家、突撃レポーターなどを経て、夫・林家ライスと漫才コンビを結成してからは、主婦ならではの視点を生かし、環境問題をはじめとする社会問題に切り込む漫才が好評です。環境省の「環のくらし応援団」のメンバーに加わり、環境カウンセラーにも認定されるなど、本格的に環境問題に取り組む姿勢は高く評価されています。
- 腰が低かった「昭和の爆笑王」 この人についてがんばろう。
- 林家カレー子さんが初めて林家三平師匠に会ったのは、夫・ライスさんが一門に入った1976年のこと。「そのころの我が家は全く食べられない状況でした。子ども2人はまだ小さく、一緒にあいさつに行こう、と言われたけれど気が進まなくて。だって師匠は、テレビで見ない日はないほど売れっ子でしたから」。着るものは間に合わせで、口紅もつけずに師匠の前へ。「この度は夫を一門に入れていただいてありがとうございました、と廊下に付くほど頭を下げたら、師匠も深々と畳につくほど頭を下げ、あなたがライスさんの奥さんですか、と」
長幼の序に厳しい芸能の世界にあって、弟子の妻にすら頭を下げる師匠の姿に感激し、「この人についてがんばろう」と思ったそうです。師匠から「林家カレー子」の名前をもらったのは、その2年後のことでした。
- 目の前の人を笑顔にしたい。ふたつの心をひとつにして。
- 林家カレー子さんたちは始めから漫才コンビを組んでいたわけではありません。当初は別々に漫談をしていました。転機が訪れたのは1987年。目の不自由なお年寄りが入所する老人ホームを訪れたとき、「にわか漫才」を披露しなければならなくなりました。「見てもらうことができない分、しっかり聞いてくださった。そしたら皆さんの顔がどんどんにこやかになっていったんです。人間はみんな笑いたい、笑いたくない人なんていませんよ、と言われて」。誰にでも喜ばれる漫才師になってください、という言葉が胸にズシンと響いたそうです。
「これまでは生活のために別々に仕事をしていた。でも今日からは、目の前にいる人を喜ばせるために漫才をやろう。ライスとカレー子、ふたつの心をひとつにしてやっていこう、と決意したんです」。こうして正式にコンビが結成されました。
結成後間もなく、日本文化使節団の一員としてブラジル慰問の旅へ。日系3世、4世には日本語が通じないと知るや、通訳に頼んで台本をポルトガル語に翻訳。アマゾン観光もそこそこにそれを丸暗記し、若い世代からも大いに笑いを取ったそうです。
- さまざまな社会問題を笑って啓発。自分たちのスタイルが確立した。
- ブラジル慰問から帰国した翌年。ライス・カレー子は思い切った行動に出ました。「交通費さえ出してもらえば、全国どこへでも漫才に行きます」という「出前漫才」を始めたのです。これが全国紙に掲載されると、テレビ、ラジオ、雑誌など他のメディアでも次々と紹介されました。「特急の停まる駅はほとんど行ってます。行った先で困ったこと、泣いたことが次のネタになりました」
出前漫才を続けるうちに環境問題に目が向くようになり、環境をテーマにした漫才を披露。反響は大きく、行政からも出演依頼が殺到するように。「防犯、安全、平和、福祉、人権など、みんな“環境”につながっていて、矛盾せずに訴えられるんです。笑ってもらって、啓発できる。これがライス・カレー子のオリジナリティです」
「食べられない時代」に貧しさを一緒に笑い飛ばした子どもたちも、今では芸能の世界に。長女の林家まる子さんはテレビのレポーター、キャスターとして活躍中。長男の翁家勝丸さんは江戸太神楽の曲芸師として海外公演もこなしています。 環境問題がますます注目される今、林家ライス・カレー子の漫才はさらに多くの人たちを笑顔にすることでしょう。
